ページ番号1013110 更新日 令和2年5月28日
この資料は流山市芝崎の吉野家に保存されていたもので、平成11年から流山市立博物館で整理を進め、平成15年度には博物館企画展「よみがえる乾板写真 吉野誠の世界」で公開しました。今回指定したのはその中から本市の歴史上重要とされた吉野誠の作品や2,000点あまりの写真乾板などです。
吉野誠は明治17年(西暦1884年)、千葉県東葛飾郡芝崎村(現流山市芝崎)に生まれました。生家は、南北朝にはじまったとされる地域の素封家で、誠の父は千葉県会議員や八木村長を務めています。
誠は幼くから裕福な家庭環境の中で当時珍しかった写真に親しむ機会に恵まれたと推察されます。私立東京開成中学校の在学中には写真を撮り始め、卒業後は流山町や八木村の小学校で教鞭をとりながら、「東京写真研究会」を舞台に写真にまい進し、明治45年28歳の時「知られぬ花」が第3回研展(東京写真研究会展覧会)で1等賞を受賞。その後、山岳写真の旗主として、写真界での地位を固めていきました。
一方地元では大正2年秋元淘綾(三左衛門)らとともに「木山会」を立ち上げ、流山町と八木村を中心に写真愛好者の裾野の拡大に努めました。
その後も、精力的に写真撮影を続けるとともに、研展や各種展覧会の審査員などを務め、また、昭和8年から20年まで八木村長を務めています。昭和21年62歳で永眠しました。
吉野家に残された資料のうち、ゴム印画作品「知られぬ花」は写真史上芸術写真と分類される典型的「山岳写真」の草分けに位置するものであり、平成15年、アメリカで開かれた「日本写真史展」にも展示されました。
また、2,000点余りの乾板はその数量においても群を抜いており、写し出された当時の風景や人々の暮らしぶりは、写真家吉野の視点を示すとともに、明治大正時代の生業風俗習慣を知ることができる民俗学上貴重な資料です。
指定資料は現在流山市立博物館に寄贈され、「知られぬ花」は常設展示しています。また、乾板写真などは調査報告書「吉野誠の世界」(一部600円で博物館で販売)でご覧いただけます。
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