平成27年4月29日(祝日)、流山市生涯学習センターに作家の藤原作弥さんをお招きして「8月15日、満州少年の日々」という講演会が行われました。流山市立博物館友の会が主催したものです。冒頭、藤原さんは、博物館友の会の大出俊幸会長から丁寧な手紙をいただき、終戦70年となり戦争体験者も少なくなる中で、戦争を体験した者として語り継ぐべきと考えましたとあいさつされました。
講師の藤原さんは、昭和12年仙台に生まれ、昭和17年に言語学者の父と共に研究のため北朝鮮清津に移住、2年後、旧満州の興安街(現・モンゴル自治区ウランホト)に移住。ソ連軍の侵攻により当地を脱出。安東(現・丹東)にたどりつき、苦労の末、昭和21年11月に帰国。東京外語大、時事通信社を経て、日銀副総裁に。元・大宅ノンフィクション賞選考委員。著書に「聖母病院の友人たち」「満州、少国民の戦記」「李香蘭 私の半生」などがあります。
昭和20年8月、満州の朝鮮との国境にある町、安東で終戦を迎えた日本人は、八路軍、国民党、ソ連軍の勢力争いの狭間で、右顧左眄しなければならない立場を強いられていました。しかし、この混沌と矛盾に満ちた町で、ひそかに情報収集、相互扶助活動を行い、帰国の日に備える一群の日本人がいました。その中に古書店で地下組織の相互扶助活動を続ける父、闇市で煙草を売りながら知らずに連絡係になっていたと言う講師の藤原作弥さんがいました。
生後2か月の妹を背負っての逃避行や残酷な現場に立ち会われた体験談など自らの幼少時代を振り返える講師の淡々としたお話に、満席の会場は静かに耳を傾けていました。昭和20年8月14日、満州国興安総省の葛根廟で、子どもや女性が中心の日本人避難民約1,200人がソ連軍等によって攻撃され1,000人以上が虐殺された「葛根廟事件」などにも触れながら、数少ない生存者の体験談をまとめる作業の中で流山の地方出版社・崙書房の「蒼空と草原―殺戮の草原葛根廟巡礼記」(大櫛戊辰著)を参考にしたことなども紹介されました。
講演では、私のような戦争体験者は少なくなって「戦争を知らない子どもたち」(昭和45年に発表されたフォークソングの曲名)がほとんどになっている。戦争を知らないからいいと言うのではなく、学んで繰り返さないことが大切なのだと訴えました。戦前の「軍事大国」を目指した日本、戦後の「経済大国」を目指した日本、それぞれの体験に学び、「これからは何々“大国”を目指すのではなく、国民一人ひとりの教育や文化、生活の質を高めることを目指してはどうか」と呼び掛けました。
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