平成27年4月12日(日曜)、新選組局長・近藤勇を偲ぶ法要と講演会が開催され、100人を超える新選組ファンが参加して幕末の志士に思いを馳せました。法要は境内の梅などで知られる名刹長流寺で新選組友の会の主催で、講演会は流山福祉会館に会場を移して流山歴史文化研究会の主催で行われました。「近藤勇忌」の名で親しまれ、今年で12回目を迎えました。
法要では、長流寺の高橋一仁ご住職の読経で、近藤勇局長のご子孫の第10代・宮川豊治さん、第11代・宮川清蔵さんからお焼香が始まりました。勝海舟の玄孫(やしゃご)にあたられる作家の高山みな子さん、佐藤彦五郎新選組資料館の館長・佐藤福子さん、作家の釣洋一さん、結喜しはやさんなど多くの新選組関係の皆さんにお越しいただきました。
流山福祉会館では、井崎流山市長の歓迎のあいさつに続いて、近藤勇局長が残した「絶命の辞」の一節を宗風流・郡誠風師範が吟詠。博物館友の会の奥田富子さんによる紙芝居「新選組が来た!」の上演が行われ、いよいよ講演会です。講演会は、北山章之助氏を講師にお迎えし「司馬遼太郎と新選組」と題して開催されました。
講師の北山章之助さんは、昭和12年、熊本県に生まれ、早稲田大学卒業後、昭和35年にNHKに入局されました。教養番組部で「日本史探訪」の制作を担当された後、「歴史への招待」のチーフ・プロデューサーを務め、NHK特集「大黄河」「21世紀は警告する」などを制作。平成元年、スペシャル番組部長としてNHKスペシャルを立ち上げ、衛星放送局長などを歴任。主な著書に「手掘り司馬遼太郎」、「司馬遼太郎 旅路の鈴」などがあります。
北山さんの幼少時代、チャンバラ遊びでは鞍馬天狗や月形半平太が人気で、新選組は敵役だったため人気がありませんでした。それが、司馬遼太郎の「新選組血風録」と「燃えよ剣」で人気となった、という話題から講演が始まり、「新選組始末記」などで知られる子母沢寛との関係などにも言及し、士農工商の身分社会であっても能力があれば農民から武士や学者になるなど、江戸後期には近代日本を先取りしていたという歴史観を小説で初めて描いたのが司馬氏ではなかったかと結びました。
幕末、幕府軍とともに戦った新選組は、慶応4年(1868年)4月1日夜、流山へ移動。長岡といわれていた醸造家を本陣として、光明院、流山寺などに分宿していましたが、4月3日、情報を得た西軍に包囲され、近藤勇は、大久保大和と名乗り出頭し連行。その後、近藤勇であることが露見し、4月25日に板橋で処刑され、流山は、近藤勇と土方歳三が最後のときを過ごした地となりました。近藤勇、享年33歳。流山では、近藤勇は、流山を戦火に巻き込みたくないと自首したという地元贔屓な言い伝えが残っており、新選組ファンが多いまちと言われています。
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