平成17年7月16日(土曜日)、文化会館で、家庭教育講演会「おとな、夫婦、ともににないあう子育て」が行われ、約100人の参加者は、子どもの身体と心の変化に家庭でどう向き合っていったらよいかなどを学びました。講師の村瀬幸浩さんは、現在、一ツ橋大学や津田塾大学、東京女子大学などで、学生に、「性と愛の問題は、いやらしいことや恥ずかしいことじゃなく、いかに生きるかという生きがいの問題。セックスは下半身の行為ではなく、知的な行為」であると教えていらっしゃるそうです。性をおとしめたり、さげすんだりする発想が大学生のレイプ事件や少女の監禁事件などの社会問題を生む大きな要因のひとつだと警鐘を鳴らす村瀬さんは、性の問題は、本能の問題などではなく、高齢社会を豊かに生きるための生涯を通じた問題であり、人権問題であると説明されました。援助交際も、誤解や偏見を助長するアダルトビデオやゲームもつくっているのは大人であり、思春期の性をゆがめているのは大人の責任なのに「いまの子どもは」と、大人が言うのはおかしいと訴えました。
子どもに精通や月経が始まったとき、接するのは同性の親であり、異性の親は思春期になったら一歩ひいた方がよいのですが、いまは連れ合いとの関係よりも子どもに生きがいを依存する母親なども少なくない風潮があります。かつて、子どもが多く、寿命が短かった時代には、よい親のまま現役で人生を閉じることができましたが、いまは、昔と比べたら子育てが終わってからもう一度、人生を生きるような時代です。子どもに人生を教えるのと同時に、子育て後の自分の人生もしっかり考えなければならないのではないかと訴えました。今も昔も父親は、仕事などで子どもに関わりが薄いのですが、一昔前は、縁側将棋を教えてくれるおじいさんのような近所のおじさんや兄弟、親戚など身の回りに大人の男の人生モデルが多かったと言います。一方で、女子は、母親から始まって保育士、小学校の教員など大人の女性モデルを見て育ちます。そのため、「男の子は大人になりにくい社会」であるとことを解説してくださいました。成人式で暴れるのも男の子で、大人になっていない幼稚な姿だと指摘しました。
かつては、駅にいけば駅員に声をかけられ、おつかいを頼まれてタバコを買いに行けば声をかけられたが、いまは切符もタバコも自動販売機で、コンビニでは客と店員の会話がないコミュニケーションのない社会。そのうえ、近所のおじいさんは自分のことばかりで、近くの子どもに目が向いていないため声もかけない社会になりつつあると心配されていました。会話は「聞く」ことから始まりますが、家族でも相手の話を聞かなくなると、触れ合いもなくなります。子どもも寂しいのは同じで、学校の様子を聞かれて、話したとたんに「そんなことではダメだ」「もっとよい友達をもって勉強しろ」と話を折られて、聞く耳を持っていない親には何も話さなくなります。そこで、聞いてほしい、自分に関心をもってほしいと、みんなが依存しているのが携帯電話のメールだそうです。95年〜96年を境に十代の中絶やクラミジアが急増していますが、これは、十代へのメール機能付き携帯電話の普及時期と同じで、非常に誘惑に弱くなって、事件などに巻き込まれる危険が潜む状態であると語ってくださいました。
思春期は、子どもの甘えと、大人への自立との間を行ったり来たりしている時期。甘えてきたときに甘えさせ、自立しようとしたときにそっと見守れればいいのですが、甘えたときに「忙しい」と言い、自立しようとしたときに手を出してしまうというケースも少なくありません。思春期を迎え、大人になろうとしている子どもに、生きがいを依存して手や口を出しすぎると必ずその被害は子どもに及びます。昔からあるいわゆる「嫁と姑」といわれる葛藤でも、被害は若い世代の夫婦に及びがちです。世代間にはある程度の境界をつくって接し、子育て後の人生も豊かに生きられるよう考えていきましょうと呼びかけました。
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