裸の若衆が餅を奪い合い、餅の割れ具合により、その年の農作物の作柄を占う「ヂンガラ餅行事」が平成18年1月8日(日曜)、三輪野山の茂侶神社で行われました。古くから伝わるこの祭事は、昭和52年に流山市指定無形民俗文化財に指定され、現在、ヂンガラ餅保存会(堀江啓亮会長、30人)により運営されています。
縁起のいい末広がりの「八づくし」で、8日に、8升の御神酒と8升の鏡餅(上3升、下5升の円い重ね餅)、8種類の野菜の煮物などが神殿に供えられる。社殿内で古谷宮司による祝詞(のりと)奏上、お祓いなどのあと、「トウ渡し」と呼ばれる次の年番への引き継ぎなどが厳粛に行われました。
畳を上げて、いよいよ「餅取り」が始まります。登殿した約20人の上半身裸の男衆に、神官から5升の固い餅が投げ入れられると、「ワッセ、ワッセ、餅はどこだー」と掛け声をかけながら、もちを奪い合い、ひとかたまりとなって揉み合います。途中、訪れていた井崎市長も、男衆に促されスーツ姿のまま揉み合いに参加し、一段とヒートアップした若衆たちに揉みくちゃにされていました。壁や柱にぶつかる激しい動きにカメラを持った報道陣も逃げ惑いながらの撮影です。
1時間弱ほど、激しく揉み合った末、見事に餅は三つに割れ、観客からは大歓声が上がりました。割れた餅を両手にした宮司からは、「近年は、餅が割れにくく柱にぶつけて二つに割っていましたが、今年は揉まれる中で自然に三つに割れました。昨年は災害や事故が多かったが、ことしはいい年になりそうです」と言い渡され、熱気に溢れた今年のヂンガラ餅行事も無事終了しました。
流山市三輪野山の三輪茂侶神社は、大和国(奈良)の三輪神社の分霊とされる言い伝えがあります。「延喜式神名帳」という平安時代初期の書物にもその名が見られ、いわゆる「式内社」のひとつとされています。なお、大和朝廷からの使者が当地に赴いたとき、この地の趣が大和の三輪山を彷彿とさせたため、丘陵地を「三輪の山」と命名したとう言い伝えもあります。紅白のお餅をお土産にもらった見物客らは、隣接地に整備された散策の森を散歩したりしながら冬の午後のひとときを過ごしていました。
ぐるっと流山に関するお問い合わせは、担当課のページからお問い合わせください。
担当課のページ