平成19年5月12日(土曜日)文化会館で「千の風になって」や「さとうきび畑」、「私と小鳥と鈴と」などで有名な沖縄出身の盲目のテノール歌手・新垣勉さんをお招きして「新垣勉おしゃべりコンサート」が行われ、障害者支援活動などを行っている市民ら850人が美しいテノールと軽妙なトークを楽しみました。NPO自立サポートネット流山を支えるコンサート実行委員会(松本千里代表)が主催したものです。
NPO法人自立サポートネット流山(勝本正實理事長)は、平成13年(2001年)、市内9番目のNPOとして設立以来、流山市や近隣地域における「身体」、「知的」、「精神」の3障害を持つ人びとが、それぞれ自立して生き生き暮らすことができるような地域社会づくりを目指して、グループホーム、市内農家の農作物やリサイクル品を販売する店、軽作業を中心とした作業所、目の不自由な方のガイドヘルプや障害者の家事援助等の居宅介護支援など、障害を持つ人にとってはなくてはならない働きを行い、関係者の努力などから昨年11月に5周年を迎えることができました。
5周年を迎えたのを機会に、障害をもつ人びとと地域との交流を深めながら、同NPOの活動基盤の充実と、広く地域の方々に障害をもつ人びとに対する理解と、同NPOの働きを知っていただき、支援者として、利用者として、ボランティアとして、参加していただける人を募集するために記念コンサートを計画したものです。
新垣勉さんは、昨年12月からことし1月の間、NHK「みんなの歌」の番組の中で「私と小鳥と鈴と」を歌い、その生き方がテレビで紹介されるなどご存知の方も多いのではないでしょうか。あらかじめ受付で「私と小鳥と鈴と」の歌詞カードが配布され、この歌では、参加者がコーラスすることによって、客席とステージとの掛け合いで合唱を完成させ、会場がひとつになるという演出もあり盛り上がりました。コンサートには井崎市長も参加し、「障害のある人も、ない人も、それを個性だと認め合って元気に暮らせる街を一緒に築いていくために、きょうのコンサートを機にできることから参加してください」と呼び掛けていました。
新垣さんは、昭和27年(1952年)、沖縄の米軍兵の父と日本人の母の間に生まれました。まだ生まれて間もない頃、劇薬と目薬を間違えてしまい、目が見えなくなってしまったそうです。高校生の頃には両親が離婚し、その後引き取ってくれた祖母も亡くなり、 “自分ほど不幸な人間はいない”と、井戸に身を投げようとしたこともあったそうです。紆余曲折を経て歌手になりたいと、35歳で武蔵野音楽大学に入学、大学院卒業後に歌手に。「人と競い合って、ナンバーワンを目指す人生ではなく、ひとりひとりの輝きを持った、オンリーワンの人生を大切に」がモットーだそうです。
盲導犬のカーリンと一緒に、視覚障害を持つ片山澄江さんたちがステージにあがって新垣さんらに花束を手渡すと満席となった客席から大きな拍手が贈られました。コンサートのエンディングで、勝本理事長は、「流山市には、障害をもっておられる方が4000人以上暮らしておられます。これらの方々が一人でも多く、住み慣れた地域の中で自分の生きがいを見出し、生き生きと暮らしていけるためには、当法人の活動をもっともっと充実させる必要を感じて開催しました」とあいさつされました。ホールのロビーでは、さまざまな障害者関係団体がバザーを行い、屋外では市心身障害者福祉作業所さつき園の手づくりパンが売られ、コンサート帰りの皆さんが無添加で焼きたてのパンを求め行列をつくっていました。お問い合わせは、NPO自立サポートネット流山04−7154−7353
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