生涯学習センターで、結純子ひとり芝居「地面の底が抜けたんです〜あるハンセン病女性の不屈の生涯」を成功させたばかりの流山公演実行委員会・渡辺義正実行委員長と油井陽子副実行委員長が7月10日、市役所を訪れ、鈴木教育長にハンセン病への理解を広げようと、関連図書12冊を寄贈しました。6月24日から30日までの「ハンセン病を正しく理解する週間」を機に同実行委員会が開催した写真展やひとり芝居公演。流山市の人権擁護委員やNPOなどが実行委員会を組織してハンセン病患者への偏見をなくし、理解を深めるため開催しました。
今回、寄贈されたのは、芝居の原作本となった故・藤本としさんの自伝的な聞き書き・随想集「地面の底がぬけたんです」(思想の科学社)と、イギリス人のトレヴァー・マーフィさんが描いた児童図書「ハンセン病の療養所をつくったお坊さん」(ルック)。寄贈を受けた教育委員会では、市内6館の図書館(中央図書館、森の図書館、北部分館、東部分館、初石分館、南流山分館)に2種類の図書をそれぞれ配架し、広く市民の皆さんに読んでいただけるようにしていきます。
「地面の底がぬけたんです」の故・藤本としさんは、明治34年(1901年)に東京・芝琴平町で生まれました。子どもの頃は芝居好きの母親に連れられ、よく歌舞伎を見に行ったそうです。縁談がととのった18歳の時、突然、ハンセン病である事を知り、はかり知れない衝撃を受けるとともに、絶望の淵に立たされました。数年後に相次いで両親を亡くし、自殺を図ったが果たせず、以後、療養所を転々とする間に全身が麻痺し、47歳の時に失明。しかし、不自由な体にあって、唯一感覚の残った舌を使って点字を読み、過酷な人生にもかかわらずいつも笑みを忘れず、病友に慕われながら、昭和62年(1987年)岡山県の国立療養所邑久光明園で死去、86歳でした。
一方、「ハンセン病の療養所をつくったお坊さん」は、小学校中学年向けで100年も前にハンセン病の療養所をつくった綱脇竜妙という宗教家の生涯と思想をテーマに博士号を取得した著者が、その勇気ある生き方を紹介。マーフィさんは、1965年生まれのイギリス人で、ハンセン病施設をつくった仏教徒・綱脇龍妙さんの生涯と思想をテーマに、山梨医科大学大学院で博士号を取得。昨年3月に同著を出版。現在、身延山大学東洋文化研究所研究員を無給で続け、山梨県立北病院(精神病院)の患者に英語を教えたり、翻訳・校正などしたりしながら、綱脇さんについての研究を続けていらっしゃいます。
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