「おすわさま」の名で親しまれている諏訪神社で8月22日(水曜)、神幸祭が行われ、午後から常盤松中学校吹奏楽部の演奏が披露、夕方には宵宮が沿道に並びました。また、翌23日 (木曜)には大祭が行われました。諏訪神社は、昨年4月に、御鎮座1200年を記念した奉祝大祭が行われた歴史ある神社。初詣や節分、七五三の時期には、多くの人で賑わいますが、この日の祭礼も、縁日が並びお神輿が繰り出すなど近郷でも古くから人気の祭礼です。
この日の神幸祭は、諏訪神社祭礼実行委員会(岡崎博実行委員長)が主催して行われ、緑の半被を来た役員が、流山警察署などの協力を得て仕切ってくださいました。お神輿は午後1時に神社を出発し、再び神社に戻るのは夜8時という長丁場で、常に天狗が先導します。東武野田線豊四季駅前からは女性だけで担ぐ「女神輿」も。駒木の渡辺義和さん(62)は、「昭和30年代までは、1軒、1軒の家々をお神輿が回ったものです。40年代までは芝居小屋なども掛かって、それは賑やかでした」と教えてくださいました。
諏訪神社は、社伝によると大同2(807)年、天武天皇の皇子・高市皇子の後えいが、現在の奈良県に当たる大和より下向。駒木を永住の地と定め、守護神として信州諏訪大社から額面を遷したのが始まりといわれています。旧村社で祭神は建御名方富命。1825年に建築された現在の本殿・拝殿・社殿は昭和55年に市文化財に指定されています。
広い境内は、樹木が多く夏の昼間でもひんやりするほど。約33000平方メートルの敷地には、北村西望作の狛犬や日展出展作品など多くの彫像があり散策コースとしても親しまれています。境内には、歌碑や句碑が多く、それらを調べて歩くのも楽しみのひとつ。また、源義家の奥州追討の際、往きに戦勝祈願、復路に乗馬・馬具を奉献した故事もあります。諏訪神社は東武野田線豊四季駅から徒歩約5分、TX流山おおたかの森駅から徒歩約15分。
この日は、かつては諏訪神社と同じ敷地内にあったと伝えられる成顕寺の「万灯講」が行われました。纏(まとい)を振り上げるJリーグ・レイソルサポーターの若者たちが露払いし、団扇太鼓を叩く檀家の皆さんや山車を引く空手着の子どもたちなど、約500人が行列をつくって成顕寺周辺を練り歩きました。日蓮聖人の絵などが描かれた万灯や色鮮やかな龍などを撮影する見物客で沿道は黒山の人だかりで、流山市観光協会の役員の皆さんも見学にいらしていました。日蓮聖人が弘安5年(1282)、池上本門寺で61年の生涯を終えられたとき、10月というのに時ならぬ桜の花が一斉に咲き揃ったという言い伝えから、万灯は吉野紙で作った桜花で飾られていました。
夜7時30分頃には、県道柏〜流山線で、万灯行列とお神輿がすれ違うシャッターチャンスがあり、写真愛好家や携帯電話のカメラ機能を使う人々が一斉にシャッターを押していました。この日は、神社の近くで「すわの杜音楽祭」と題して地元商店街が主催するカラオケ大会なども行われ、多くの「のど自慢」の方々が十八番を競っていました。
駒木を東西に流れる大堀川の北岸の台地の上に、この日、万灯講を行った成顕寺があります。成顕寺は、建治2年(1276)創建の寺院で、流山市観光協会が主催する流山人形供養会の会場としても有名で、流山七福神の弁財天が建っています。青銅製の鰐口は県内でも屈指の大きさ。「諏訪の奥の院」と呼ばれ、「神仏習合」の形跡が残る寺院です。翌23日には寺院でエコ工作教室を開催するなど地域に親しまれている寺院です。
ぐるっと流山に関するお問い合わせは、担当課のページからお問い合わせください。
担当課のページ