10月13日(土曜日)から14日(日曜日)まで流山市流山6丁目の赤城神社で大祭が行なわれました。流山の地名発祥伝説の神社で、元和6年(1620)に再建され、「大しめ縄行事」などで知られる赤城神社の秋の大祭は、大祭実行委員会(山崎政治委員長)が主催しました。宵の宮では、境内に並んだ縁日がお目当ての家族連れで賑わい、翌14日には、赤城四ツ葉会(恩田利夫会長)が中心になってお神輿も町内を練り歩きました。
このお神輿は、大正13年に造られた伝統あるもの。白木造りが特徴で、県内では、大原町の海に入るお神輿などが白木作りで有名ですが関東でも、この時代の白木造りのお神輿は珍しいそうです。一時期、破損などによって神輿が出ないときもあったそうですが、32年前に復活しました。お神輿は、肩に担い棒が食い込んで皮がむけたり、たこができたりしがちですが、「そこは心意気で担ぐ」と赤城四ツ葉会の皆さんは胸を張ります。
言い伝えでは、「そのむかし大洪水によって上州赤城山の崩れた土塊が流れついたのが赤城神社奥の"赤城山"であり、"山が流れてきた"から"流山"という地名がついた」となっています。別説では、赤城山のお札が流れ着いたからともいい、地名の起源をひもとく面白い伝説です。1週間前には、流山市無形民俗文化財に指定されている大しめ縄行事が行われました。大しめ縄は、流山5丁目から8丁目までの自治会で構成される宿(しゅく)連合自治会(佐々木勝志会長)と赤城神社(山崎政治総代)によって10月10日に近い日曜日に行われています。
長さ10メートル、太さ1・5メートル、重量300キロの大しめ縄は近郷でも最大級のもの。お神輿は、提灯の並ぶ町内を威勢よく練り歩き、夕方6時には神社に戻って、できたばかりの大しめ縄をくぐって境内に帰ります。急な階段38段を駆け上り、小高い「赤城山」頂上にある赤城神社にお神輿が向かう姿は圧巻です。赤城神社は大己貴命を祀り、おわんを伏せたような小高い赤城山は標高15メートルです。
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