1月21日(土曜日)、第17回森の学校「地名なるほどゼミナール〜歴史に刻まれた流山の地名」講演会が開催されました。講師は、広報ながれやまに「聞き書き流山本町界隈」を連載され『「東京新田」を歩く』などの著者であり、流山市立博物館友の会に所属されている青木更吉さんです。朝から冷たい雨が降るあいにくの天候の中、市内はもとより柏、野田、松戸、横浜、川口から123人の参加があり、講演に対しての関心の高さが伺われました。
講師の青木さんからは、流山市内にある一字一音の「木」や「加」は古代奈良時代に「一字地名は無しにし2文字にする」と言う中央政府の達しがでたが、届かなかったのか、あるいは無視したために現在も残ったのではという説をお話されました。中世「本土寺過去帳」という記録に見られる市内に残る古い地名から江戸時代には40の村になり、近現代明治22年の合併で3つの町村(新川村・八木村・流山町)になり、戦後昭和26年の合併で江戸川町…流山町へ。そして昭和42年に流山市になった経緯を時代を追ってエピソードも交えお話しいただきました。
地名の語源では、「八木」という地名は、椎の木の実を植えて8本芽が出たので「八木」になったなど、流山市の小字名から語源を探ると史跡、遺跡につながる興味深いお話でした。新しい地名では、開発した不動産の会社名をそのまま地名にしたり、開発した人の名前が地名になったというお話には、会場から笑い声も聞かれました。地名は土地に刻まれた歴史であり、その土地の文化であり時代によっては新しい地名が生れるというお話しに会場では熱心にメモを取る姿が見かけられました。
松戸市から参加された30代女性は「3月から流山市民になるので、土地の歴史を知りたいと思い今日参加しました。名都借の謎について、調べてみたいと思いました。お城があった地ということで、興味深いです。」、西初石の70代の方からは「 長く住んでいて知らなかった事、特に一文字地名の由来など分かって良かった。難解でなく、平易な説明でよかった。」、東初石にお住まいの60代の方からは「歴史文化に地名を絡めた話が大変わかりやすく、あっという間に時間が経ってしまった。もっと聞きたい。」などの感想想が聞かれました。
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