1月20日、鰭ヶ崎の雷神社で市の無形民俗文化財に指定されている伝統行事「鰭ヶ崎おびしゃ行事」が行われました。氏子の方たちが七福神の衣装を身にまとって、赤鬼、青鬼の面をあしらった左右二つの的に向かって弓矢を射ました。
この行事は、かつては1年の当番7人が耕作した備社田(神社が所有する田んぼ)で収穫された米や野菜を奉納し、五穀豊穣や家内安全を祈願する行事でした。現在では、備社田の耕作はありませんが、祝詞奏上、玉串奉天、トウ渡し、的撃ち、直会(なおらい)、送り込みなどの一連の儀式が江戸時代の享保年間(1716年)から脈々と受け継がれ行われており、昭和52年には市内初の市指定無形民俗文化財に、平成6年には県の記録選択文化財となっています。
「おびしゃ」は弓を射る「歩射(ぶしゃ)」からきていると言われる、利根川流域で多く見られる正月行事です。鰭ヶ崎のおびしゃは、多くの行事が土日に行われるようになっている中、曜日に関係なく毎年必ず1月20日に行われています。両側をマンションに囲まれ、住宅地の中にひっそりとたたずむ会場の雷神社。今年はあいにく雨と雪の入り混じる天気でしたが、それでも江戸時代から続く伝統行事を一目見ようと、カメラを手にした見物客などが境内に集いました。
社殿で、諏訪神社の古谷宮司による祝詞奏上や玉串奉天、新旧の七福神の引き継ぎ「トウ渡し」の儀式を行いました。色鮮やかな衣装を身にまとった旧当番の七福神と、裃に身を包んだ新当番が向かい合い、互いに神酒を酌み交わしました。
その後、邪悪を退散させるとされる、儀式の最大の見所でもある「的撃ち」が始まり、氏子の方たちは神社拝殿から5メートルほど離れた鳥居側の的に向かって次々と紅白の矢を放ちました。現在は的の鬼の絵は印刷ですが、かつては当番の方の手描きだったため毎年鬼の表情が変わっていて、これもなかなか味わい深かったといいます。
的撃ちが終わると会場を社務所に移して直会(なおらい)の始まりです。直会は、行事で奉納したものを皆で食べる宴会のようなもの。上座には、大根の胴にねぎの首を付けた鶴と、聖護院大根の体にゴボウの頭を付けた亀の飾りが置かれ、氏子の皆さん、新旧の当番が左右の席に分かれます。
一年間、初戸を無事務めあげた鈴木さんは、「おびしゃは長く続いていて、初戸をやらせてもらってその責任感が身にしみて分かりました。でも神様になれたことは本当にうれしい」とほっとした安堵の表情を浮かべながらも充足した様子でした。宴が進むと、赤城保存会の皆さんによる獅子舞が登場。おひねりが次々に投げ込まれ、皆さんの頭を次々と噛んでまわりました。当日は、千葉日報や東京新聞、農協などから多数取材があり、各紙で報じられています。
これまでは最後に、社務所から受け当の家まで、酒樽や味噌樽などを車に積み込み、万灯や提灯を下げて行列を成す「送り込み」という行事を行っていましたが、昨今の住宅事情から今では社務所で行われています。送り込みをもって、一連の儀式は幕を閉じ、新しい7人の当番は年4回行われる「おこもり」や、分雷(わけいかづち)神社への代参など1年間のお務めを行い、来年の1月20日には、また七福神の姿を見せてくれます。
ぐるっと流山に関するお問い合わせは、担当課のページからお問い合わせください。
担当課のページ