10月19日、新川まちづくり協議会主催のわがまち・ふるさと再発見!ウォーキング「西深井の史跡・文化財とまぼろしの深井城を訪ねる」が、45人の参加で行われました。北部公民館を出発し、美原の真ん中にある江戸時代からの道を北に進みます。美原(旧平方原新田)は江戸時代に開墾された古い地域で、道端には宝暦年間の「六十六部供養塔」なども見られます。
西深井に入ると、最初は富士信仰に基づき富士山を模して造られた「富士塚」です。山頂の石宮は流山本町の「富士塚」よりも古いそうです。麓には甲子講の大黒様の石像がありました。
続いて、西深井小の前にある「安蒜家の板石塔婆」は県の重要文化財に指定されています。鎌倉時代(1314年)に建立されたもので、深井城と関係があると言われる安蒜家の貴重な史跡です。
西深井小を過ぎるといよいよ戦国時代そのままの道になります。攻めてきた敵が道に迷うようにくいちがい道路などが多く見られ、まるで迷路のようです。流山史跡ガイドの会による絵地図入りの説明に、皆さん大いに納得していました。
竹林を持つ大きなお屋敷が点在していますが戦国時代、「いざ鎌倉」というときには竹で弓などを自前で作って、はせ参じたとのことです。また、竹林がそこかしこにあることは、迷路のようで視界が悪くなり、待ち伏せにあうかと敵に恐怖心をいだかせる効果もあったようです。
三社大社、浄観寺、ジョウエン坊を巡り、最後は不動坊です。一説には、ここにまぼろしの深井城があったとも言われています。今は当時を偲ぶものは見当たりません。近代(明治6年)になりここに小学校が置かれましたが、わずか10か月で浄観寺に移り、最終的には南小学校と一緒になり新川小学校になりました。今回のウォーキングは新川小学校のルーツを探るものでもありました。
終点は、運河水辺公園、約6Km、2時間半のウォーキングでした。新川まちづくり協議会では、わがまち・ふるさと再発見!として、新川小学校区内で3回ほど「地域を知ることは地域を愛することにつながる」という考えで史跡巡りを行って
きました。参加者からは、「説明がとても分かりやすく良かった」、「地元の歴史を知ることはとても面白い」などたくさんの満足の言葉をいただきました。自分の所属する団体でもう一度歩きたいとの要望も流山史跡ガイドの会に寄せられています。新川まちづくり協議会では、来年3月に、こども史跡博士の認定を含めた史跡巡りを計画しています。
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