9月29日(日曜日)、北部公民館で「Short&ショート研究トークの集い」が行われ、郷土史研究家の皆さんら約40人が、4人の研究発表に耳を傾けました。流山市立博物館友の会(辻野吉勝会長)が初めて試みた形の研究発表会で、1人の発表が20分、それに対する質問が10分と、短時間で多くの会員の研究成果を学ぼうというものです。当日は4人の発表が行われました。
この日、最初に発表したのは、石垣幸子さんの「船戸道をさぐる」。田中藩の下総領には、船戸と藤心に陣屋(代官所)があり、それぞれ統括した21か村ずつの地域を中相馬領と南相馬領と呼んでいたなどを発表。船戸から大青田、青田、上新宿、上貝塚、桐ケ谷、下花輪、加村河岸などの道について実際に歩いたりして、古老に聞いた話などを解りやすく伝えました。
次に発表したのは、新保國弘さんの「流山のオオタカから利根運河のサシバとコウノトリに至る20年史」。この日、午前中に「まちなか森づくり植樹祭」に参加して緑化活動をされた新保さんは、流山市市野谷でのオオタカの保護活動から始まり、野田を中心に流山や柏など近隣市を巻き込んで展開されている利根運河協議会、そしてコウノトリの育成活動などについて語りました。
続いての発表は、三谷和夫さんの「東葛の庚申塔」。庚申(かのえさる)の日に寝ないで祈り、長寿を願った人々(庚申講)が建てた石塔やその信仰、歴史、地域的な特徴などを写真で示しながら解説しました。客席から庚申塚に彫られていることが多い「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は、両手で耳や目や口を押さえているが、野田や流山の一部の三猿は片手で押さえているものが多いことなどが指摘されました。
最後に発表したのは、村越博茂さんの「私と吉岡まちかど博物館」。印西市の「木下まち育て塾」が、河岸問屋だった吉岡家の土蔵を東京電機大学や行政と連携して改築保存し、文化活動の拠点にするまでの10年間を紹介。120年前の老朽化した建造物が市民の手によって「まちかど博物館」として親しまれるようになるまでの経緯を、パワーポイントを使って紹介しました。
流山市立博物館はことし6月開館35周年を迎えました。昭和53年6月1日に「見る資料館から、参加する資料館へ」を運営方針に、流山市立郷土資料館がオープン、その直後に友の会が発足しました。今回、研究トークを開催した流山市立博物館友の会は、郷土史などを調査研究し、その成果をまとめた「東葛流山研究」(崙書房出版)を発刊し、学校や図書館等に寄贈してくださるなど、地域に根差した文化活動を続けています。
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