9月1日(日曜日)、流山市生涯学習センターで「セッシュウ!」秘蔵映像と講演のつどいが開催され、多くの映画ファンや歴史研究家などが映像や講演を楽しみました。この企画は、「戦場に架ける橋」などで世界を魅了した日本人初のハリウッドスター・早川雪洲の波乱万丈の人生にスポットを当てたもの。早川雪洲は、千葉県が生んだ国際俳優でありながら、長く日本では認められない時代もありました。会場には、雪洲が主演した映画のポスターなどが展示されました。
その早川雪洲の生い立ちを追った「セッシュウ!」(講談社)の著者・ 中川織江氏と、メディアプロデューサー・澤田隆治氏を招き、ハリウッドで人気を博しながら、日本では上映禁止になった秘蔵映像の数々を観ながら雪洲が誕生した時代や背景などを追いました。「花はサクラ、男はセッシュウ」とアメリカでもてはやされ、世界の映画スターとなってから、映画や舞台で半世紀にわたって活躍し続け、70年代にふたたび世界の頂点で脚光を浴びたスケールの大きな雪洲。映像によって凛々しい日本男性の姿を世界に紹介した初めての人です。
基調講演をされた中川織江さんは、昨年12月、講談社から出版された「セッシュウ!」の執筆者です。日本女子大学大学院博士課程後期修了。博士(文学)。(公財)教育美術振興会評議員。元・京都大学霊長類研究所共同利用研究員。元・日本女子大学、埼玉大学講師(非常勤)。香川栄養学校調理師科卒。大塚テキスタイル学院工業繊維学科卒。著書に「粘土遊びの心理学ーヒトがつくる、チンパンジーがこねる」「粘土造形の心理学的行動学的研究」(風間書房)があります。
秘蔵映像を提供くださった澤田隆治さんは、1960代に「てなもんや三度笠」、「スチャラカ社員」など、大阪発の公開コメディ番組で「あたり」をとり、週3本のレギュラー番組を演出して「視聴率100%男」の異名で知られた伝説のプロデューサーです。「ズームイン!」、「花王名人劇場」など、情報番組・バラエティ・ドラマなどの番組制作で知られるプロダクションを育てあげ、演出・制作をして名前が出た番組は1万本を超えています。2006年から「笑いと健康学会」会長として流山市生涯学習センターの「笑って健康!お笑い大行進」もプロデュースされています。
ことしは、本名、早川金太郎が「雪洲」と名乗ってから100年の節目の年。一生、世界に君臨し続けた日本人スター、早川雪洲。これほど大きなことを成し遂げた雪洲でしたが、残念ながら母国日本には、当時、その偉大さが伝わりませんでした。講演では、執筆を進める中で明らかになった事実と彼の足跡など研究家の成果を紹介。早川雪洲が主演し、日本への輸入禁止のきっけにもなったアメリカ映画「チータ」や、早川雪洲がハンフリーボガードと共演した「東京ジョー」など、日本では未公開の作品を観ながら、映像を蒐集された澤田さんと、本を執筆された中川さんの軽妙なやりとりを楽しみました。
いまは、海外で活躍する日本をサムライ・ジャパンなどと評価していますが、雪洲が活躍した当時はアメリカで排日活動が盛んだった時代。「アメリカ人のつくった映画に出演している」からと、映画を観てもいない人たちに出演作品の輸入を禁止され、「国賊」の烙印を押された雪洲。終戦後はパリに残っていた日本人の救出活動をしていましたが、その救出活動で「米軍のジープに乗っていた」というだけで、再び「国賊」と決めつけられた雪洲。今回の企画は、時代や国際情勢、理解力不足から正当な評価がされないままになっている千葉県が生んだ名優を再評価しようという試みとなりました。
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