作家・植松三十里さんの講演会「ミズリー号上の重光葵」
更新日 平成25年5月1日

[画像]講演会「ミズリー号上の重光葵」(57.5KB)

  4月29日(月曜日)、流山市生涯学習センターで「ミズリー号上の重光葵」という講演会が開催され、約100人のファンが熱心に耳を傾けていました。作家の植松三十里さんを講師にお招きし、流山市立博物館友の会が企画したものです。講師の植松さんは、平成15年「桑港にて」で歴史文学賞、平成21年「群青 日本海軍の礎を築いた男」で新田次郎文学賞、同年「彫残二人」で中山義秀文学賞を受賞された方で、この日は、昨年出版された「調印の階段」から外交官・重光葵の生涯について講演されました。


[画像]約100人のファンが熱心に耳を傾けていました(78.1KB)

  植松さんは、小説として重光葵を描くにあたって、昭和の歴史を学び直されたそうです。その中で、いかに自分が昭和の歴史を知らないかを痛感したとおっしゃいます。昭和という時代についてはナショナリズムから書いているもの、自虐史観的に書いているものが多く、本来おもしろいはずの歴史が、興味を持ちにくい書籍ばかりなのは、書き手の責任もあるではないかと指摘されました。植松さんは、徳川幕府海軍最後の総裁・矢田堀景蔵を描いた「群青」や、常磐炭鉱の父と言われた片寄平蔵を描いた「燃えたぎる石」など、これまで歴史上の評価があまり高くない人物の生涯にスポットを当てた歴史時代小説が秀逸な作家として有名な方です。


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  「願わくは御国の末の栄え行き 我が名さけすむ人の多きを」と詠んだ重光葵。降伏文書に調印するという日本史上、最も不名誉な “仕事”を買って出た男、戦争終結に奔走した昭和の外交官・重光葵に光を当てた長編小説として、多くのメディアで書評が取り上げられた「調印の階段」。主人公の重光が上海天長節爆弾事件の爆弾テロで片足を失ったのが昭和7年4月29日、また、MPに連行され逮捕起訴されたのが昭和21年4月29日と、この講演会が開催された4月29日は重光に因縁の深い日でもあります。


[画像]昨年出版された「調印の階段」から外交官・重光葵の生涯について講演(70.2KB)

  昭和31年12月18日、国連総会は全会一致で日本の国連加盟を承認。重光は日本全権として加盟受諾演説を行い、「日本は東西の架け橋になりうる」という名句を残し、その1か月後に没しています。植松さんは、「調印の階段」を読んだ若い世代の読者から「なせ、日本は戦争を回避できなかったのか、昭和史がよく理解できたという感想を寄せられたのが嬉しかった」と歴史を研究される方々が多い流山市立博物館友の会の皆さんに語り掛けるように講演されました。


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  流山市立博物館はことし開館35周年を迎えます。昭和53年6月1日に「見る資料館から、参加する資料館へ」を運営方針に、流山市立郷土資料館がオープン、その直後に友の会が発足しました。その後、郷土資料館は博物館と改名し、友の会も、辻野吉勝会長を中心に、流山近隣にお住まいの会員の皆さんが、「流山市立博物館の行事に協力する」、「東葛地域全般の歴史・文学を研究し、文化の発展、ふるさと運動に積極的に寄与する」、「会員相互の親睦による生きがいづくり」を目的に地道な活動を続け、「東葛流山研究」「会報におどり」などを定期的に発行しています。



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