流山は俳諧師・小林一茶が第二の故郷と親しんだ地。4月6日(日曜日)、流山市文化会館で、現代俳句の金子兜太氏をお招きして講演会が開催され、多くの俳句ファンが詰め掛けました。演題は、金子兜太氏が語る「荒凡夫一茶」。これまで一茶まつりなどを企画してきた流山歴史文化研究会が、市や市教委、観光協会、博物館友の会の後援を得て開催したものです。講師の俳人・金子兜太氏は、ことし2月のNHK特集「94歳の荒凡夫〜俳人・金子兜太の気骨」をご覧になった方も多いと思われますが、大正8年埼玉県生まれ、朝日俳壇選者、「海程」主宰。「荒凡夫 一茶」(白水社)など著書多数。紫綬褒章、蛇笏賞、文化功労者、正岡子規俳句大賞等を受賞し、日本芸術院会員、現代俳句協会の名誉会長でもあります。
自由律俳句の種田山頭火が「放浪の…」と言われるのに対して、一茶は「漂泊の…」と表されることが多い。放浪と異なり、漂泊は、流山で白味醂の開発者のひとりと言われている秋元家五代目三左衛門(俳号:双樹)や馬橋で油屋を営む俳人大川立砂など立ち寄るところがある場合を指すのではないかと平易に解説。双樹のもとに50回以上も一茶が来訪したことが知られている流山には、一茶双樹記念館をはじめ、光明院の「豆引や跡は月夜に任す也」(双樹)、「烟らぬ家もうそ寒くして」(一茶)という連句碑などがあり、この地でのふたりの交流をいまに伝えています。
俳諧師・小林一茶は、60歳の正月に、これからは、「荒凡夫」で生きたいと、句帖に書きとめていました。五欲兼備の「愚」のままで生きたいということですが、そう言いながらも感性の純粋な、それこそアニミズムの世界に届くような俳句をつくっていました。長女がわずか1歳で急逝し、悲嘆の中で詠んだ「露の世は 露の世ながら さりながら」や60歳のときに大病から回復して詠んだ「これからは 丸もうけだよ しゃば遊び」などの句に触れ、こうした一茶の素晴らしさ、やさしさを見抜いて、物心共に支援をするような起業家が流山に存在し、やさしい気風が江戸時代からあったことを、地元の人は誇りに思うべきであり、やさしさを解らないような人は流山に住んではいけないと客席を笑わせました。
小林一茶が俳句をつくっていた時代、経済活動の中心は関西でした。そうした中で、ことしで200年になる流山の白みりんなど江戸経済も活気を帯びてきました。漂泊の俳諧師であった一茶は、徒歩で日本中を旅していたわけですから、埃だらけ泥だらけで衣装も汚れていたことが想像できます。立ち寄った家々では、汚れた姿の一茶を必ずしも歓迎した家族ばかりとは思えません。当時、新しかった一茶の俳句やその人物を認め、温かく迎えた秋元双樹という醸造家も「只者ではない」と金子兜太氏は評価されていました。一茶の言う「荒凡夫」の荒は荒々しいという意味ではなく、自由という意味、「自由で平凡な男」と説明され、「荒凡夫」という言葉を一茶の句帖で見つけたときは身体が震えるほど感動されたそうで、私もそのように生きたいと講演を締めくくりました。
金子兜太氏のテンポよくユーモラスな講演に客席からは笑い声も聞かれ、休憩もとらずに90分間の講演をされるお姿は、ことし95歳とは思えない若々しさ。会場には、井崎義治市長をはじめ日本ペンクラブの会員で俳人の秋元大吉郎元市長らも駆け付け講演に聞き入っていました。主催した歴史文化研究会は、来週13日(日曜日)は、新選組友の会との共催で第11回「近藤勇忌」を開催します。13時30分から流山6丁目の長流寺で法要が、14時30分から流山8丁目の赤城福祉会館で作家の結喜しはや氏をお招きして「近藤勇と幕末の京都」と題した講演会を開催。講演会の参加費は2,000円(記念品付。申込不要、当日会場で受付)。商工会議所や観光協会、ふるさと産品協会が協賛。お問い合わせは、新選組友の会090−7736−9073(大出俊幸会長)、または流山歴史文化研究会090−4674−5517(渡辺義正会長)へ。
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