ページ番号1038944 更新日 令和4年10月3日
令和4年9月18日(日曜日)、流山市北部公民館・新川まちづくり協議会共催で、第5回ふるさとの史跡めぐりが開催されました。コロナ禍で3年ぶりとなり、十分な対策のもとでの開催となりました。前回同様受付開始日に定員に達し、増員しました。
関ヶ原の戦いの後、石田三成の居城が落城し、山田家の祖が落ち延び流浪の末、北総深井の里に住み着いたことについてのお話しと、関連場所を巡るウオーキングを楽しみました。
北部公民館で、NPO法人流山史跡ガイドの会副理事長であり、郷土史家の田村哲三氏によるトークから始まりました。
約320年後に山田家の蔵から発見され、東京大学教授により名付けられた「佐和山落城記」や古文書などの資料をもとに、裏切りにより落城したこと、自害した重臣山田上野之助の嫡男隼人と孫の脱出ルートなどの話が続きました。
佐和山落城記の謎(なぜ幕府のお膝元に住んだのかなど)にもおよび、各種文献の考察、推理も含め盛りだくさんのお話しでした。一般参加者47人を含め67人の聴衆を、90分間魅了しました。「三成の逃走と捕縛、佐和山城の戦いの様子が分かります」、「とても面白かったです」などの声が寄せられました。それにしても、父隼人が大阪夏の陣で戦死した翌年、家康が死んだ翌月、21歳の孫宇吉郎はどんな思いで佐和山落城記を書き残したのでしょうか?
[画像]史跡めぐりの様子(37.5KB)36人の参加者が、北部公民館から関連場所などをめぐり、NPO法人流山史跡ガイドの会の案内で、運河駅まで歩きました。山田家の氏寺である、慈眼院を特別に開けて頂きました。御本尊は十一面観音ですが、上野之助の出身地滋賀県山田村は観音の里と呼ばれるそうです。9月18日は上野之助の命日にもあたりますので、お花を供えさせて頂きました。
[画像]史跡めぐりの様子(25.8KB) 最後に、平左衛門ギャラリー(山田家の蔵)を見学しました。名のある宮大工の手によるもので、明治27年築とは思えない状態です。2階に上ると、木の枠組みがわかります。音の響きが良いので、コンサートなどが開催されるようです。
参加者からは、「慈眼院や蔵に入れてよかったです」などの声が寄せられました。
今後も、わがまち・ふるさと再発見!として、「地域を知ることは地域を愛することにつながります」という考えで、お子さん向けも含め、史跡めぐりを行っていきたいと考えています。
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