鰭ヶ崎三本松古墳の碑(下総国鰭崎邨古冢碑)


ページ番号1013111  更新日 平成29年9月15日


[画像]鰭ヶ崎三本松古墳の碑(下総国鰭崎邨古冢碑)の写真(147.9KB)

 「下総國鰭崎邨古冢碑(しもうさのくに ひれがさきむら こちょうひ)」と刻まれたこの碑は、江戸時代の後半の文政11年(西暦1828年)、鰭ヶ崎村の名主渡辺睦(庄左衛門)が建てたものです。

 碑には『睦の祖父である渡辺充房と父である寅が天明の飢饉の時、古墳を掘って財宝を掘り出し食べ物にかえてようとした村人がいたが、これをやめさせ私財を投じて農民を飢えから救った。』と記されています。

 碑の文章は江戸時代の儒学者成島築山(なるしまちくざん)が作成し、幕末の三筆と称される書家、市河米庵(いちかわべいあん)が書いています。また碑の上の方に四角く囲まれた額(篆額)の書者は、幕府の役人戸川安恵(とがわあんけい)です。碑は当時の一流の人々がかかわって建てられたものです。

 鰭ヶ崎三本松古墳は、出土する埴輪から、6世紀後半の築造と考えられ、前方部から後円部までの全長25メートル、高さ2メートルの本市では最大の前方後円墳です。東葛飾地区で数少ない前方後円墳で、そこに葬られた人は地域の長クラスの人ではないかと見られています。

 古墳は裾のぎりぎりまで土が取られ急な崖となっていることから、区画整理事業のなかでは古墳を現状で残すことが困難となっています。

名称
鰭ヶ崎三本松古墳の碑(下総国鰭崎邨古冢碑)
ふりがな
ひれがさきさんぼんまつこふんのひ(しもふさのくにひれがさきむらこちょうひ)
員数
1基
区分
流山市指定有形文化財
所在地
流山市鰭ヶ崎字塚ノ腰1265
時代
江戸時代
指定年月日
平成15年3月31日
備考
建造物

地図


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