ページ番号1013096 更新日 平成29年9月15日
流山でみりんをつくりはじめたのは、江戸時代の後半で二代目堀切紋次郎と五代目秋元三左衛門といわれています。
江戸時代のみりんは甘口の飲み物で、江戸川の水運により大消費地である江戸に運ばれ、さらに関東一円に広まりました。明治になると、流山はみりんの産地として有名になり、堀切家の万上(まんじょう)みりんと秋元家の天晴(あっぱれ)みりんは全国に名を馳せました。
この醸造用具は大正から昭和にかけて、昔ながらの醸造法で使用されていたものです。三十石の仕込み桶、液体の運搬に用いたタメ桶、米麹を作ったコウジブタ、米麹の原料をコウジブタに盛ったカキ桶、お湯や氷を入れて仕込み桶に沈め熟成温度を調整した暖気(ダキ)など100点以上が指定されています。
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