古代の流山を考える市民教養講座
更新日 平成16年8月30日


1700年前の流山の暮らしを学ぶ 墨書土器をもとに古代の流山を考える市民教養講座

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 8月14日から28日まで3週間にわたって文化会館で市民教養講座が行われ、毎回100人の郷土史ファンが参加しました。同講座は、県文化財センターなどの協力を得て、公民館の主催で行われました。東日本で最古の「墨書土器」が、夏休み中、流山市立博物館で展示されましたが、墨書土器とは、表面に墨で文字の書かれた土器のことで、展示された土器は、「市野谷宮尻遺跡」(西初石五丁目)で出土したものです。これまで東日本で出土された墨書土器では、七世紀後半のものが最も古いとされていましたが、この土器は一気に四百年も古い、「古墳時代前期(三世紀末)」のものと見られています。


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 今回の市民教養講座は発掘された墨書土器をもとに古代の流山を考えようと企画されました。14日は千葉県文化財センターの栗田則久さんの「市野谷宮尻遺跡の集落の変遷」、22日は同センター加藤修司さんの「千葉県における前期の古墳」、28日は国立歴史民俗博物館教授の平川南さんの「日本列島における初期の文字文化とその背景」と興味深いカリキュラムがそれぞれ参加しやすい土曜日や日曜日の午後に開催され、郷土史研究家や歴史ファンらが毎回100人程度参加しました。土器に書かれた文字について「3世紀の土器に書いた一文字、背景には非常に大きな列島における文字変化の流れ、それから政治的な、経済的な背景を読み取ることができはしないでしょうか。そういうところから読み解いていかなければ理解できないであろうと考え、そういう意味で画期的な資料の発見ということができます」と平川南さんは解説していました。


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 今回発見された墨書土器は地元の土で作られていることなどが講座で発表され、講師から当時の流山には墨と筆を使う高度な文明があったことなどが説明されますと、参加者は熱心にメモをとりながら聴き入っていました。流山から出た墨書土器は3世紀代の文字で2世紀から4世紀の日本では数例の墨書や刻書などの文字資料が出土していますが、いずれもいわゆる「津」と呼ばれる港から発見されています。韓国釜山の茶戸里1号墓からは、文房具などの遺物(筆、刀子、はかりの錘)が出土し、これらは交易が行われたことを示しています。こうしたことから考え、流山は当時「太日川」(現・江戸川)の津として交易が行われた地であった可能性が考えられます。地元で発掘現場も見学したという参加者は「昔のことは奈良などが文化の中心だと思っていましたが、自分が住むまちもかつて高度な文明があったなんて想像するだけで楽しいですね」と語ってくれました。



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