ぐるっと流山 流山史跡ガイドウォーキング(春編)


ページ番号1010877  更新日 平成29年9月15日


[画像]成顕寺で副住職から説明を受ける参加者たち(48.7KB)

 平成29年5月28日(日曜日)、文化会館とNPO法人流山史跡ガイドの会とで「流山史跡ガイドウォーキング(春編)〜流山おおたかの森駅から諏訪神社を巡る〜」が開催されました。このイベントは、史跡巡りを通して流山の特色や歴史を再発見、再認識して郷土愛を深めていただけるよう平成21年から開催しています。今回のコースは、流山おおたかの森駅をスタートして、1.北千葉導水路の大堀川注水施設、2.成顕寺、3.成顕寺裏の野馬土手、4.諏訪神社、5.日光東往還と諏訪道、6.木槌稲荷を経て、流山おおたかの森駅で解散しました。約3.8km、約3時間のガイドウォーキング。この日は、晴天に恵まれ18人が参加されました。

[画像]ガイドの様子(67.5KB)

 成顕寺では、副住職から龍王殿と本堂の説明があり、参加者は成顕寺の歴史などを学んでいました。成顕寺は平安時代初期、弘法大師のお弟子が大風や長雨で農耕に害をもたらしていた龍神を降伏させ金胎山道場寺の風早明神と称してお祭りしました。その後、鎌倉時代中期、龍神により、悪疫が流行したところ、日蓮大聖人の直弟子の日朗聖人が法華経によって龍神を改心させました。このことにより日蓮宗に改め、現在の成顕寺につながっているそうです。

[画像]ガイドの様子2.(54.1KB)

 諏訪神社は、大同2年信州諏訪大社より分霊を頂き、名都借を経て駒木に創建されました。日光東往還は、水戸街道小金原入口から日光街道への脇往還であり、将軍が日光東照宮に参拝する際、随行する大名家が通ったとのことでした。
 最後の木釘稲荷(永寿稲荷)では、明治維新直後に、東京にあふれた大勢の失業者を受け入れた小金牧豊四季の開拓者が副業としてタンスの木釘作りなどで苦しい生活を生き抜いたことが説明されました。

[画像]ガイドの様子3.(62.3KB)

 参加者からは「成顕寺での本殿に入る機会はめったになくいいものでした」、「ガイドの方々が、皆様親切でとてもよかったです」などの感想が多く聞かれ、好評のうちに終了しました。
 この史跡ガイドウォーキングは、春と秋の年2回開催しますので、興味がある方は、次回の秋の回へのご参加をお待ちしています。


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